オンライン喫茶 4th place
オンライン喫茶しゃびのオフなひととき(テキスト)

475.エンタメの敵とは何か?

どうも、しゃびです。この番組は、オンライン喫茶経営している私しゃびが、喫茶店経営の傍らおしゃべりをするチャンネルでございます。
はい、というわけで、今回もオンライン喫茶しゃびのオフなひととき、始めていきたいなと思います。

普段からこの配信でもよく言っているんですけど、舞台に上がらせてもらったり、人前でしゃべったりっていうことをしていて、これも人前でしゃべってると言えるのかな。
大枠で言うと、エンターテインメントに関わったことをしていたりもします。
本業は営業職だからエンターテインメントとは言わないけれどもね。

で、僕がすごく感じているのは、エンタメをやっている人って、どこか偏った人が多いと思ってるんです。
それは僕みたいな、エンタメの片隅でやっている人でさえもそうだと思うんです。
僕も全然そうだと思ってて。
僕は、「口から生まれてきた」じゃないけれども、おしゃべりをするべくしてしゃべってるところがあるんですよ。
なんでかっていうと、発達障害っていう先天性の特性があるじゃないですか。
ADHDとかね、ASD、昔で言うとアスペルガー症候群とか、そういう言葉があると思うんですけど、僕は以前、約5年前ぐらいですか、たぶんADHDだから精神科で診てもらった方がいいって言われて、診てもらいに行ったことがあるんです。
そこでテストしてみましょうって言って、WAIS(ウェイズ)っていうテストがあるんですね。
発達特性を見るためのテストなんです。
これはなにかっていうと、IQってあるじゃないですか。
IQ100とかさ、たまに130とかだと、すげえ頭いいねとか、なんかそういうのって学生の頃に1度ぐらいはやったことあるかなと思うんですけど、これをより細かくしたものがWAISっていうやつなんですよね。
全般的なIQを出すことが目的というよりは、いろんな分野での能力値を細かく出すのが目的なんですよ。

これをなんでやるかっていうと、発達特性のある人っていうのは、ひとつひとつのカテゴリーの能力値に偏りが出るんですって。
発達障害の特性のない人っていうのは、その全体のIQっていうのが、例えば、90なのか、100なのか、110なのかっていうのはあれども、それが例えば、その一部分だけ70になって、一部分だけ130になって、みたいなことっていうのは、あんまりないらしいんですよ。こういう偏りがある人が、いわゆる発達特性を持っている人ということらしいんですね。

僕はそれを測った時に、すごく偏りがあったんですよね。
僕の場合は、全部が偏ってるというよりは、一部分が偏っていたんですよ。
偏っていない要素もあるんですけど、偏っていたと。
要素でいくと、視覚探査能力っていうところがあって、それは視覚情報を理解する能力っていうところ。
一番わかりやすいのが、間違い探しなんですよね。
左の絵と右の絵で間違えてるのはどこですか、って。
その能力が非常に低いですっていうふうに出たんですよ。
これはどういうことかというと、僕の場合も、前の放送でも話したことあるかな、一番苦手なのはね、駅の構内なんですよね。
新宿とか池袋とか渋谷とか、すごくいろんな線が入り組んだところの構内を歩いていると、こっちが副都心線ですとか、こっちが中央線ですとかっていう矢印がいっぱい出てくるんですけれども、それが理解できないんですよ。
パッと見た時に、よく見ると、ああ、これがこっちなんだみたいなことは理解できるんですけど、パッと見て理解できないから、間違えた方向にすぐ行っちゃうんですよね。

もっとちっちゃな例でいくと、こないだね、桃鉄やったんですよ。
桃鉄ってご存知ですかね。
ゲームです。
すごろくゲームなんですけど、昔からある。
その、どっちに向かって走っていったらいいのかっていうゴールが、矢印みたいに出てくるんですけど、その矢印が、背景の絵とごっちゃになって見えて、どっちに行ったらいいのかがね、度々わからなくなっちゃうんですよね。
多くの人にとっては、「いろんな背景とごっちゃになってるって言ったって、矢印は出ているわけだから、わかるでしょ」ってことみたいなんですけど。
僕はわかるけど、わかるのに時間がかかるんですよ。
それがいわゆる視覚探査能力のなさっていうので、いわゆる僕は方向音痴として出やすいんですよね。
なにも覚えられないから、何回行っても初めて行ったみたいな気分になるしね。

一方でワーキングメモリーっていう項目があって、それは僕はすごい高かったんですよね。
回答としては全質問正解、みたいな感じだったんですけど。
これはなにかっていうと、いわゆる言語の情報を頭に一時的にとどめておく能力みたいなんですよね。
ちょっと言い方が正しいかわかんないですけど。
これはどういうことかっていうと、誰かと話していた時に、いろんな人がいろんな意見を言ったとしても、自分の頭の中で、この人はこういうこと言ってて、この人はこういうこと言ってて、この人はこういうこと言ってて、全体としてこういうことなんだっていうことが、頭の中でまとめられるんですよね。
こういった音声配信も、「こういう話を始めよう」っていうふうにやると、頭の中で色々考えたり台本書いたりしなくても、これをああやってこうやって、そうやって、どうやって話せばいいんだってことを頭の中にとどめておいて、とどめておきながら、パパパッてしゃべっているのがなにも苦じゃないんですよね。
だから、人前でしゃべるべくしてしゃべって、口から生まれてきた、って。

自分の能力の偏りとして、これはすごく楽ちんな行為なんですよ、しゃべるっていうのは。でも、普段いろんなところに行く仕事っていうのは、僕にとっては他の人がストレスじゃないところにストレスを抱えてしまったりするので、すごく嫌だし、事務作業系の仕事なんかも、パッと見ても、なんかこう、「ケアレスミスはないかな」っていうチェックができないんですよね。
見ていても気がつかないんですよ、ミスに。
そのまま間違えたまんま出しちゃって、不備ですねって言って書類戻されたりっていうのは、僕は仕事でも度々するんですけど、それは僕がおっちょこちょいだからじゃなくて、視覚情報がわかんないんですよね。

なにが言いたいかっていうと、そういう人間の偏りっていうのは持ってる人いますよっていうことが一個ある上で、エンタメに携わる人っていうのはそういう偏りを持っているケースが非常に多いよっていうことは絶対言えると思うんですよね。
自分の得意な領域の中で自分の芸をやっている。
もしかしたら天才的な人で、全部能力値が高いっていう人も中にはいるかもしれないけど、多くの場合はなにか欠損している能力はあるけれども、芸事をやるときに適した能力を身につけているので、エンタメの世界ではうまくやっていけているっていう人がおそらく大半なんじゃないかなって僕は思っています。
大半って言い過ぎかもしれないけれども。

長々と自分の特性の話から、エンタメに携わってる人は偏っている、みたいな話をなぜしていたかというと、最近芸能人が雑誌とかに刺されてですね、出られなくなっちゃうという事案が度々発生していると思います。
それは決して、なんだろう、その雑誌側が悪いってことではなくて、例えば色恋沙汰だったりとか、そこが非常にこう、「良くない色恋沙汰だった」って言い方、ちょっとわざと選んで言ってますよ。
あのね、最近芸能人で色々やって、っていうのって、その手のトラブルが多いわけじゃないですか。
それは人間的にどうなのっていうことをプライベートで異性に対して働いていたことによって、実際に今テレビに出られなくなっているっていう人って度々出てきてますよね。
タレント、お笑い芸人、映画監督でね。

それはもちろん被害者の方にとってみればさ、非常にやりきれないことであると思うし、許されることではないんだけれども、実際やっぱりね、そういうエンタメの人っていうのは、どこかね、やっぱりタガが外れているっていうケースが多いと思いますよ。
実際さ、「そんなことしてて雑誌に刺されたらアウトだぜ」っていうことをさ、やらないじゃん。
普通に考えたら。
自分のキャリアはそれで台無しになるわけだから、気をつけるじゃん。
でも、多分ね、気をつけられないんだと思うんですよね。
それは異性に対する問題だけじゃなくて、例えば、覚醒剤とか麻薬とか、そういったこともやっちゃダメですよ。
犯罪なんだからね。
やっちゃいけないってわかってるんだけど、一般的なものの考え方で言ったら、「なんでやるの」って話なんだけど、そういう自制心が働かないっていうことって、やっぱりね、芸事やってる人ってね、あるって僕は思っていて。
これが許されないことだっていうのは分かった上で言うと、でも、そういった人だからこそエンターテインメントっていうのは成立してるんだよっていうことは、僕はすごく思ってるんですよね。
そういう人だからこそ、天才的な偏りの部分っていうのがあって、それで視聴者は笑わせてもらったり、感動させてもらったりっていうことをしてきているんですよ。

だからそういう悪いことが明るみになった時に、なんかすごく、SNSで叩く気持ちはわかるんだけど、ただ、その人に笑わせてもらったり感動させてもらったりしてる人がいるってこともまた事実で。
それは、人を感動させて、プライベートではなにも悪さしないでねっていうのが一番なんだけど、どうやら人間っていうのは、能力の偏りによってエンタメが成立してしまっている側面があって、そういうわけにもいかなかったりするよねっていうのは、うん、僕はすごい感じるんですね。

ちょっとこの話題はさ、被害者の人もいたりすることだったりもするから、なかなかね、しゃべりづらいことではあるんだが、あまりその負の側面にクローズアップが行き過ぎてしまうと、やっぱりこう、エンターテインメントが成立しなくなっちゃうっていうのはあると思ってるんですよね。
だってねえ、叩けば埃が出る人がたくさんいると思うよ、正直ね。
そう、だから、難しいね。
難しいけれども、やっぱりエンターテインメントっていうのが、人間が生きていく上で必要なんだとしたならば、どうなのかなって。
裁かれるべきことは裁かれたほうがいいけれども、いわゆる週刊誌とか、その、ゴシップ系の週刊誌っていうところがきっかけになっていることが多いじゃないですか。
そのゴシップ系の週刊誌が売れるっていうのは、そういう有名人の裏の部分を知りたいっていう視聴者の欲望が、そのニーズにもなっているわけじゃないですか。
でも、そのニーズっていうのは、裏を返せばエンターテインメントの質を著しく低下させる原因にもなるニーズですよ。
っていうのは、やっぱりね、視聴者として認識しておくべきことなんじゃないかなっていうふうに思ったので、今日はちょっとね、最近そういう話題が多いなと思うので、こういう話をしてみました。

勘違いしてほしくないのは、僕はなにかを擁護しているわけではなくて、客観的事実としてそうだっていうふうに思っています。うん。
要は、罰し過ぎてしまうと、エンタメの質っていうのは低下する。
いわゆるそういう性、合わせ持った性質っていうのがエンタメにはあるよっていうことを知っておいてほしいなというか、そういう気持ちでね。
今日はそんな話をさせていただきました。

僕が言ってることが100%正しいわけではないので、考えるきっかけにしてもらえればなっていうふうに思います。

はい、今日はそんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。