最近、ちょっと新しいことを試みているというか、習慣的にやってることがあって。
それはね、いわゆる「感謝ノート」みたいなものをつけるっていうことなんですよね。
毎日、ほんとに短い時間なんだけど、その日あったことを思い返して、自分の中でこれは感謝だなっていうことを文字に残すっていうのをやってるんですよ。
けっこう分厚い手帳を使ってるから、分厚い手帳に日々の感謝を書くスペースを作って、何月何日、こういうことがあった、ありがとうみたいなことを箇条書きでいくつかね、1日につき、ふたつとかみっつとか、その程度だけど書くようにしてるんですよ。
やってみてわかったけど、すごくいいなと思ってて。
ちょっと、うさんくさそうじゃないですか、感謝ノートを書くなんてね。
「〇〇してくれてありがとう」みたいなさ、日々、感謝の心を忘れずにっていうのは美談としてはよく言うけど、正直ね、人間なかなか感謝できるもんじゃなかったりするじゃないですか。
というのも、その当たり前のこと、自分の中では当たり前になっていることって、感謝すべきことだなっていうのはわかってたとしても、なかなか感謝できないと思うんですよね。
例えば、子供にとって親の存在って生まれた時からいるものじゃないですか。
それに対して「お母さん、お父さん、いてくれてありがとう」ってなかなか思えないと思うんですよね。
僕の娘も別に僕に感謝はしてないと思うんですよ。
だって生まれた時から僕はいるわけだから。
で、それでいいと思うんですよね。
要するに、日々息ができるから僕は生きてられるんですと。
地球よ、酸素を供給してくれてありがとう。
みたいなことって思えるわけないじゃないですか。
生まれながらにして呼吸ができて、当たり前の中で生きてるわけだから、それに感謝するのって結構難しいと思うんですよね。
それと同じように、大小あれど人間って当たり前に享受できてるものに感謝するっていうのはなかなか難しいもんで。
自分がピンチになった時にそれを救ってくれるような存在に関しては、すごく感謝すると思いますよ。
例えば、財布を落として慌てて探してたら、それを拾って自分のところに届けてくれたような人がいたらさ、すごい感謝するじゃん。
財布なくして焦ってるわけだからね。
そういう、自分に明らかなトラブルが起きた時に、それを救ってくれるような人にはもちろん感謝すると思うんですけど、デフォルトで享受しているものに関してすごく感謝するっていうのは、強く意識できてないと難しいことだなっていうふうに思うんですよね。
僕がなんでその感謝ノートを書こうと思ったかっていうと、もともと本に書いてあったんですけど、普通に考えたら当たり前に思ってしまうことを、あえて「〇〇してくれてありがとう」っていうふうに表現するようにしてるんですよね。
自分の中でそのことに対して深く感謝をしているっていうよりは、これは感謝すべきことだなってことに対して、とりあえず文字にしておくっていうことをやってるんですよ。
自分の中でこれに対して「すごい感謝だわ」って思ってるっていうよりは、あえて言葉にしておく。
自分が感謝の言葉を感じづらいことであればあるほど言葉にしておく、みたいなね。
言葉にすることによって、自分の中でアウトプットしたものだから、これってやっぱり感謝すべきことなんだなっていう気分になれるんですよね。
わざわざ自分が選んで感謝の言葉を書いてるってことは、これは当たり前のことじゃなくて、感謝するべきことなんだなっていうふうに、自分の中でマインドが少し転換できるみたいなところがあって。
だから、あえてその日々あったこと、すごい些細なことでもいいから、書くようにしてみてるんですよね。
人間って自分が持ってないことが気になる生き物だと思うんですよね。
例えば、周りの人の方が自分よりもお金を持っていて、自分は貧乏だと思っていたら、自分がお金がないっていうことに対して、心配したり悔いたりしがちじゃないですかね。
例えば病気がちだったら、ピンピンして健康な人のことを羨ましいと思うだろうし、自分が恋人に振られたばっかりだったら、恋人と幸せそうにしている友人のことをうらやましいと思うだろうし、自分がいま手に入れていないものに関して、視線が行きがちなのが人間っていうものだと思うんですよね。
でも、感謝するっていうのは、自分がいま持っているものに目を向ける行為じゃないですか。
子供に、「生まれてきてくれてありがとう」っていうふうに書くとかね。
仕事もさ、「毎月毎月自分が生きていけるようにお給料をくれてありがとう」、みたいなさ。
普通に働いてたら大変なこと多いからさ、「ブラック企業め」って思う人も多いのかもしれないけど、ひとつひとつの「自分にとって当たり前」のことに対して、感謝の言葉を書くっていうかさ。
それは自分の家族だったり、友達だったり、昔からの友達だったらね、「中学の頃からずっと自分と仲良くしてくれてありがとう」とか書くのでもいいし、その時に思ったこととかあったことね。
僕、すごい細かいこととか書いてますよね。
僕は日々チョコザップで走ったり運動したりしてるけど、チョコザップに対する感謝も2、3回も書いてるし。
ちょっと休憩にも使わせてもらってるし、チョコザップはね、便利なもんで、休憩するためのデスクがある店舗とかがあるんですよね。
そういうところでちょっと一休みさせてもらったりすると。
お休みできるスポットがあるからありがたいな、なんて思ったりするんでね、それ書いたり。
友達とお茶したら、こういう楽しい時間を一緒に過ごしてくれてありがとう、みたいなね。
そういうのいろいろ書けるじゃない。
でも、そういうのってわざわざ感謝するようなことじゃなかったりするから、書かないとあんまり意識できないんですよね。
書いて初めて、「これって当たり前のことじゃないのかもしれないな」なんてね、ふと思ったりするんですよ。
ただ漫然と生きていると、自分が持ってないものに対するうらやましさとか、自分が頑張れなかったから手に入らなかったものに対する後悔の念があったりするのかもしれないけど、自分が持っていないものよりも、持っているものの方が多くの場合たくさんあるんだと思うんですよね。
ただ目を向けられてないだけで。
それをあえて言葉にすることによって、自分にないものに、持ってないものに目を向けるモードから、自分が持ってるものに目を向けるモードに変わることができるので、今より少し幸せを感じられる感度が高まるっていうか、そういう効果はあるような気がするんですよね。
仮に、すごい感謝してなかったとしても、あえてそういうふうに言葉にすることによって、「これって当たり前じゃないんだな」っていうふうに思えるような気がしてるんですよね。
最近あんまりうまくいかないなとか、モヤモヤするなって思っている人は、ノートの端っこにでも、その日の感謝できるポイントを探して書いてみるっていうのを、騙されたと思ってやってみてもらえると、日々の鬱屈とした気分が晴れてくるような気がするので。
僕も最近始めたばっかりですけれども、紹介させていただきました。
はい、今日は、そんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。