前の放送でも話をしているんですけど、このオンライン喫茶っていうのは、僕がもともとThreadsっていうプラットフォームの中で、「Threads喫茶しゃび」っていうオンライン喫茶店を毎日開いている流れの中で、音声配信番組をやりたいなっていうことで始めたっていうのがきっかけなんですよね。
Threadsの中ではいろんな企画が立っているんですよね。
企画を立てて、みんなに楽しんでもらえたらいいなってことでやっている人って結構たくさんいてね。
僕もその中のひとりっていう感じなんですけど。
でもね、SNSで企画を立てるっていうのも大変なところがあって、例えばですけど、参加している人たちが100人を超えてきたりすると、中には深刻というかさ、クレームとかさ、気分を害される方っていうのも出てくると思うんですよね。
そういったことに対応するっていうのも、こういうのはグループでやっていることでは基本的にはないので、自分でやらなければいけないと。
そういうところで、やっぱり人間関係なので、傷つくこともあると思うんですよね。
うん、個人でやってますからね。
そういったトラブル事案みたいなことも、いろいろ話を聞いていると、あるなっていうふうに思うんですよ。
幸いにして僕、結構鈍感なのか、すごく自分が嫌な思いをするっていうケースってじつはあんまりないんですけど。
聞くと、ちょこちょこあるなっていうふうに思うし、今後はね、たぶん出てくると思う。
全くなにもないってことはありえないからね。
いろんな人が出て、いろんな人と接点を持つわけだしね。
だから、そういったものは不可避だし、企画を立てる人っていうのは、そういった意味で弱い立場だなっていうふうに思うんですよね。
だって、ひとりの個人が100人なりね、200人なりっていう人に楽しんでもらうべく企画を立てているっていう、言ってしまえば1対nの構造なわけだから、1の方は結構大変っていうのはありますよね。
それでも、自分も楽しいからっていうことで、企画を立てられる方はやっていると思うし、僕もみんなとコミュニケーションを取りたいからやっているっていうところなんですけど、その時にね、結構考えさせられることがあって。
多くの企画を立てたりする方っていうのは、サービス精神が旺盛な人が多いと思うんですよね。
「Giver」っていう言葉があるじゃないですか。
ギブの精神をすごく持っている人、奉仕の精神を。
みんなに楽しんでもらいたいなっていうね、そういう精神を持っている方が結構多いなっていう印象なんですよね。
外からの見え方的には、フォロワーを伸ばしたいからこういうことをやってるんじゃないかとか、もちろんその要素もあるんですけど、それ以上にサービス精神でやられている方が多いんじゃないのかなっていうのが僕の印象なんですよ。
僕はそうとは言わないですよ。
僕がそうとは言わないけど、そういう方が多い。
企画をしていると企画者の方との関わりも強くなったりもするので、話を聞いてるとそういうことをすごい感じる。
ただ、その上で僕がすごい難しいなと思うことがあって。
それはやっぱりね、奉仕の精神をもってこの企画をやっているんだっていうことを強く打ち出しすぎてしまうと危険だよねっていうのを僕はすごい思うんですよ。
これはなにかっていうと、Giverの元にはTakerの人が絶対に集まってくるんですよ。
すごい言い方悪いんだけど、「この人はすごく奉仕の精神を持ってやっているんだ」と打ち出しているっていうふうに感じられてしまうと、じゃ、そのことでいい思いができるからその企画に参加をしようっていう人が一定数来るんですよね。
それが悪いことではないんですけど、そうなった時になにが良くないかっていうと、自分が望んだものを手に入れられなかった時に、すごくその人って傷つくんですよね。
テイクをしよう、なにかを手に入れようとしてやってきたのに、自分がそれを手に入れられなかったってなると、すごく傷つくんですよ。
その人は悪い人っていうんじゃなくて、自分はそういう目的を持ってきているのにそれをくれなかった、自分はその期待していたものが手に入らなかったっていうことが、嫌がらせのように感じてしまったりして、すごく傷つくってことが起きるんですよね。
で、傷つくとどういうことが起きるかっていうと、怒るっていうことが起きるわけで、怒るとなにが起こるかっていうと、奉仕の精神でやっていたはずの、企画を立ててくださった方も傷つくことになるっていう、すごく悪循環みたいなことが起こりやすいなっていうのが僕の印象なんですよね。
これは別にSNSに限ったことではなくて、自分で「Giverでやっていきます」みたいなことを言わなかったとしても、この人はそういうことをモットーにしているんだなっていうことを認識として与えてしまうと、そういうことが起きるっていうのが僕の印象で。
じつはですね、僕はそういうことが起きるんじゃないかと思って、企画を立てるときに、これはもう当初から決めていることで、基本的に約束をしないっていう企画の立て方をしているんですよね。
例えばですけど、僕はフォローされてもフォローバックをするってことも約束してないし、コメントを返すってことも約束してないし、なにか参加してくれた方がした投稿に対して再投稿したりするってことも約束してないんですよ。
なにも文章には載せてないんですよね。
参加してくれた人のことはもちろん、逆にフォローされてなくても参加してくれたんであればフォローをしようっていうふうにして、ほとんどフォローしてますし、コメントも一生懸命返す努力をしてますし、投稿してくれたものを広める努力もしようとしてます。
でも、それをしますっていうことを打ち立ててしまうと、こっちがそれをできなかった時に相手を傷つけてしまうんですよね。
こっちもこっちで忙しい中でやってるわけで、必ずそれを実現してあげるってことができないので、初めから自分の中で約束するっていうことをしない。
ハードルを下げてイベントをわざと立てているっていうところがあったりして。
ギブってすごい難しいなって思うんですよね。
人間関係って助け合いだから、ギブの精神って絶対必要なわけですよね。
お互いにいろんなものを与え合って、与えてもらい合って、人間関係っていうのは成立しているのでね。
そういったものをナシにしてしまうと、やっぱり人間関係ギスギスするからね。
そういったものなしでは人の輪っていうのは生まれないから、ギブの精神も必要だし。
自分がギブの精神を持っていてなおかつ、誰かからもいろんなものを与えてもらっているっていう、ある種のギブアンドテイクみたいなものは必要だよねっていうふうに思う一方で、じつは人からもうもの、人に与えるものみたいなものって、「人になにかを与えよう」って思ってないところから人ってなにかを受け取るっていうふうに僕思っているところがあってね。
(こちらは)なにかをプレゼントしようと思ってないんだけど、相手は結果的になにかをプレゼントされている。
相手がなにかプレゼントしてくれようとしてないんだけど、自分は受け取っているっていう、そういう構造でギブアンドテイクって世の中成り立ってるんじゃないかなって思っているところがあって。
これをね、話が長くなっちゃって申し訳ないんだけど、すごく感じたのはね、映画の「魔女の宅急便」なんですよ。
僕、「魔女の宅急便」めちゃくちゃ好きでさ。
例えばさ、キキがパイを届けるシーンあるじゃないですか。
おばあちゃんのね、オーブンでパイを焼いて孫に届けてあげるシーンがあるんですけど、実際そのパイを届けた時に孫は喜ばないんですよね。
「私、このパイ嫌いなのよね」って言って、全然喜んでもらえない。
そのおばあちゃんは、きっと孫は喜んでくれるだろうと思って送って、実際孫にどういう反応されたかを知らないから、喜んでもらえただろうっていうふうに思っているはずなんですよ。
でも、孫は喜んでない。
ギブが相手に届いてないっていうシーンだったりするんですよね。
ただ、一方で、ラスト近くでキキがトンボを助けるシーンがあるんですよね。
お友達のトンボが飛行船でぶら下がった状態になっちゃって、落っこったら死んじゃうみたいな状況で助けるシーンがあるんだけど、その時に、騒ぎを見守っているデッキブラシを持ったおじさんがいて、(キキが)その人からデッキブラシを借りて、そのブラシをほうきの代わりにして飛んでトンボを助けるっていうシーンがあって。
あのシーンって、結果的に助けてもらったのはキキでありトンボのはずなんですよね。
デッキブラシを貸してもらえなかったらああいったことが起こらないわけで。
でも実際すごい喜んでるのはおじさんなんですよね。
「このデッキブラシを貸したのはわしなんだぞ」っていうことをみんなに言って、すごく喜んでいる、役に立てたことをすごく喜んでいるっていうシーンがあって。
あのシーンによってギブをされたのは、なにかを受け取ったのは誰かって考えた時に、あのおじさんなんじゃないかっていうふうに思ったりもするわけですよね。
「魔女の宅急便」って、そういうシーンが結構たくさんあって、言い始めたらきりがないんですけどね。
キキがプレゼントを届ける最中にね、ジジによく似た黒猫のぬいぐるみを落っことしちゃったシーンの、ワンちゃんとのやり取りとかも、ほんとにギブとテイクがどこにあるのかっていうのが非常に面白いシーンだったりもするし。
こんなことをずっと話していたら「魔女の宅急便」の話になっちゃうからアレだけど。
ギブをしようと思ってない中でじつは受け取っているっていうことが、じつは人間関係の中のギブアンドテイクの本質なんじゃないかっていうふうに僕は思っていて。
でも、それってさ、意図してできることではないからね。
じゃあ、どうやって起こしたらいいのかって考えた時に、それは基本的になにかを与えよう、与えてあげようみたいなことを常に思っているというよりは、自分の身の回りの人のことを見ているっていうことが必要なんじゃないかなと思うんですよね。
見守っているっていうことが必要なんじゃないかって。
その人にきちっと興味を持って接している。
そうしたら、その人がなにか困っているのかなと思った時に、自然に手を差し伸べることができたりっていうことがあるのかなって。
デッキブラシのおじさんが、初めからトンボの様子を全く心配もしてなくて、掃除に余念がなかったとしたならば、ああいうことは起こらなかったんだろうし、あの様子を見守っていたからこそ、ああいった光景が起こったわけでね。
そういう「見守っている構造」みたいなものが自然と起こっていれば、ギブアンドテイクっていうのは起こるんじゃないかな、なんていうふうに僕は思うんですよね。
非常に抽象的な話ですけどね。
表明するっていうのは、結構難しいよねって思うんですよ、ギブアンドテイクを表明するっていうのはね。
僕もあんまり、SNSでいろんな人に見てもらったり参加してもらったりするっていう経験がね、昔からすごい多いわけではなくて、もともとそんなにSNSを一生懸命やるような人間ではないのでね。
やってみて感じたことなので、これを聞いていただいてる方の中でも、どっちかっていうと企画をするっていう側の方じゃない方も多いかもしれないので、ちょっとね、感じたことをお話させていただきました。
ともあれ、この話の締めでお話したいのは、企画をみんなに楽しんでもらいたいなってことで毎日、喫茶店の企画を立てているわけですけど。
なによりね、たぶん、受け取ってるのは僕なんですよ。
やっぱりね、喫茶店開いていて、誰も来なかったら寂しいぜ。
すげえ寂しいよ。
毎日毎日そこに参加してくれてね、挨拶とかして、今日昨日こんなことがあったんだよとか話してくれたり、僕が書いた文章に対して思ったことを伝えてくれたりっていうことが、僕にとっては非常に宝物なのでね。
それも別にさ、僕になにかくれようと思ってしている、くれてる方もいると思うけど、「あの人にすげえプレゼントしてあげるんだ」っていうふうにはやってないかもしれないですよね。
やってないっていうか、やってない人の方が多いと思うんですよ。
僕はそんなことをされるに足る人間でもないしね。
でも僕はすごい受け取ってるわけですよ。
これはすごくありがたいなと思うし。
この音声配信ひとつにしたってね、始めたばっかりなのに「音声配信聞いてきましたよ」って(コメントをいただいて)。
こういうふうにね、それを聞いて思ったんですよね。
ほんとに嬉しいし。
僕なんか、ただ好き勝手しゃべってるだけなんですよ。
もう15分過ぎちゃってるけど。
でも、それに対して反応もらえるっていうのはね、すごく励みになりますね。
ということでね、そろそろ長くなってしまったんで締めますけど、ギブアンドテイクっていうのは、自然に起こした方がいいよねっていうお話がしたかったということです。
こんなところで今回は終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバーイ。