この間の放送で「ジモティー」っていうアプリの話をしたと思うんですけど、あれをやり始めるとずっと見ちゃってよくないですね。
ジモティー自体はすごい好きなんだけど、ずっと見ちゃうっていうのがよくないですよね。
なににつけても、ずっとそれにかかりっきりになっちゃうっていうのはあんまり良くないなと思ってて。
僕、そういう傾向にあるんですよね。
仕事でもお芝居でも、取り組んでることでも、これをやろうって思うと、それにすごい時間をかけちゃうんですよね。
ずっと集中しちゃって。
なにかにのめり込んだり集中したりすることって、いいことだともされてるじゃないですか。
集中力があるっていうのはね。
じゃあ、ジモティーをずっと見ちゃうっていうのはどうかなとは思うけども。
際限なく何かに集中するって、僕はあんまりいいこととは言い切れないなって。
自分がそういう人間だからこそ、そう思うんだけど。
完璧主義ってあるじゃないですか。
完璧主義の自分、完璧主義だなって思う人っていると思うんですよ。
みなさんは自分のことを完璧主義だと思いますかね。
僕の中ではね、完璧主義な人ほど完璧主義じゃないんですよ。
すごい矛盾してるんですけど、完璧主義じゃない人の方がむしろ完璧に近いってふうに僕は思ってて。
これはなにかっていうと、物事を100%に近づけていく行為っていくらでも際限なくできちゃうんですよ。
100%になることはないから。
例えばお芝居やるにしても、100%上手な人なんていないわけですよ。
世界のトップクラスの俳優の人だって、どこか自分は完璧じゃないと思ってるはずだしね。
サッカー選手だって一流の営業マンだって完璧にならないんですよね。
だから、なにかを作るときに完璧主義になるってことは、一日中それをやってなきゃダメなわけですよ。
そうしないと完璧に近づかないからね。
でも、人間にはやらなければいけないこととかやりたいことがたくさんあって。
例えばですけど、アーティストの人がずっと一日中曲だけ作ってたらいい曲を作れるか。
そういうわけじゃないと思うんですよね。
いろんな経験の中で、学んだこととか感じたことがあって、それを曲にしたりってあるわけで。
なにかにのめり込んだ時に、それだけやっていればどんどん良くなるか?
お芝居の練習をずっとやってたら上手くなるかっていったらそんなことでもなくて。
その人の中にいろんな経験とか、感情とか、悲しいこととか、そういったものがプールされていなかったらできないわけですよ。
それをずっと練習してたって、練習にしかならないから。
再現力は高まるかもしんないけど、もともとの財産みたいなものが培われてかないから、うまくならないんですよね。
一定期間なにかにのめり込む、今日はこれしかやらないぞ、って決めてるならいいと思うんだけど、「ここがまだよくない」「あそこがまだよくない」って時間を決めずにずっとのめり込んでいくっていうのは、最終的に完璧さから遠ざかってっちゃうっていうのは、僕の中ですごいあるんですよね。
すごく些細なことで言うとジモティーとか、そういうのを見るにしても、何時から何時まで見るとかざっくりと時間を決めてないと、他のことをやらないでそれをやっちゃうわけですよ。
だから、月並みだけど「スケジュール感覚」っていうか、何時から何時までっていうのを細かくやる必要はないと思うんだけど、今日の午前中の、だいたい9時ぐらいまでにはこれとこれをやって、それからこれとこれをやって、っていう大まかなことを決めた上で、限られた時間の中で完璧に近いものに近づけていくっていうのが、「全体最適」っていうものであって。
ひとつの物事に対して完璧主義になるっていうのは、言ってしまえば「部分最適」で、「全体最適」ってことにはならないから、結果的に完璧なものからほど遠くなるっていうのをすごく思うんですよね。
僕が部分最適化に走りやすいタイプだからこそ、自戒の念とともにそういうことを思うので。
人様になにか見せるものだったりするとさ、ちょっとでも良くないものだったりすると、自分に対する評価にも繋がるし、こんなものは人に見せられないなって思うかもしれないけど、逆に、例えば今回3割しかできてなかった、4割しかできてなかったなってものでも、外に出すってことに慣れていった方が、結果いいものになるんですよね。
自分がアウトプットすることに慣れていくので。
短い時間の中でもある程度、6割とか7割とかの成果になっていく。
そうすると、いろんなことが7割ぐらいでできていくから、なにをするにしても全体最適に近づいていく、みたいな。
うん、これはほんとにね、僕が自分に言い聞かせなきゃいけない話でもあるんですけど。
皆さんも、完璧主義になりやすい人っていうのは、そのへんに気をつけて日々の活動をしたらいいんじゃないかなっていうふうに思いますね。
こういうラジオとかもそうだけどさ、昔は編集してたんですよ。
自分のイントネーションが気に入らないからそこを切ったり、間が長すぎるなとか、間が短すぎるな、みたいなことを気にして、それを調整したりして音声コンテンツを作ってたんだけど。
そうすると、自分が編集しない状態でどのぐらいのものが出せるのかっていうスキルが、あんまり伸びていかないんですよね。
編集の方にこだわっちゃって。
だったら、音声配信に使う時間はある程度決めちゃって、その中で、編集せずに自分の中でどれだけしゃべれるのかっていうことを高めていった方が他のところに時間が費やせるし。
他のことに時間を費やせてたら、その話をここでできたりするわけで。
話し方のところだけ一生懸命練習しててもさ、話の中身に繋がらないわけで。
そういったこともね、こういう音声配信してても、学ばされたりもしましたね。
人それぞれやっている活動っていうのは違うと思うし、部分最適が必要な仕事っていうのもあると思うんですよね。
すごくニッチな部分の細かな作業っていうのがね、職人的なものが問われるっていうところであれば、割と完璧主義っていうのが必要になってくるかもしれない。
それでもね、いくらでも時間をかけていい仕事なんてないでしょうからね。
有名な絵描きでもない限りね。
有名な絵描きだったらさ、10年かけて一個の作品を作ってさ、それが何億円とかで売れればいいのかもしれないけどね。
映画監督でもたまに10年に一度しか作品を作らない人っているけど、でも稀だと思うんですよね、そういう人っていうのはね。
多くの人にとっての「完璧に近づく行為」っていうのは、全体最適、限られた時間の中で、ある程度高い成果を積み重ねていくっていうことだと思います。
今日はそんなお話でした。
はい、今日はそんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。