オンライン喫茶 4th place
オンライン喫茶しゃびのオフなひととき(テキスト)アーカイブ

13.技術より大切なこと

僕の妹の旦那さん、義理の弟って言うんでしたっけ。
義理の弟さんがミュージシャンをやっているんですね。
彼はいわゆる有名なミュージシャンのバンドのメンバーとかっていうわけではなくて、有名なミュージシャンのバックバンドをやっているんですよね、キーボードをやってるんですけど。

うちの妹と、その妹の旦那さんには子供がいて、子供もピアノを習ってるんですよね。
私の姪っ子ですよ。
で、その姪っ子がね、めちゃくちゃピアノがうまいんですよね。
小学生からずっとピアノをやっていて、「この年でこんなにピアノ弾けるもんかね」っていうね、そんな感じの腕前の持ち主でね。
たまにピアノ演奏を披露してくれるんで、「お父さんにピアノを教えてもらって、そうやって上達してるの?」とか聞くんですけど、お父さんよりもその娘さんの方がすでにピアノが上手みたいなんですよね。
バックバンドをやっているお父さんよりも、娘さんの方がピアノが上手だと。

でも、娘さんが天才的にピアノがうまいかって言ったら、そういうことでもないらしくて。
自分の身の回りでピアノを習っている友達の中には、その娘さんよりも上手な人はたくさんいるんだって言うんですよね。
確かにうまい方ではあるけども、そんなに天才的に、神童と呼ばれるぐらいうまいわけではなくて。
「いやいや、もっとうまい人はまわりにいくらだっているよ」というわけですよね。

いや、でも、有名なバックバンドでやっているお父さんよりもうまいわけじゃないですか。
これ、ちょっと不思議だなと思うわけですよ。
お父さんはいろんな人に誘ってもらって、「一緒にやろうぜ」って言ってもらって、有名なミュージシャンと一緒に仕事をしているわけですよ。
僕、それを聞いた時に非常に本質的な話だなと思ったんですよね。
よくあるじゃないですか。
自分は一生懸命頑張っているんだけど、自分の身の回りには自分よりすごいうまい人がたくさんいて、ああ、自分はまだまだだなってね。
そういうふうにして、自分のやっていることを途中で辞めてしまったりってね、よく聞く話だなと思うんですよね。

この前、友人と話してたんですけど、その子は20代で、もともとは絵を描くのがすごく好きだったんですって。
小学校の頃は絵を描くのが趣味でずっと描いてたんだけど、中学に入って、ある日ふと、クラスの中に自分より絵がうまい人がいるっていうことがすごく気になったんですって。
30人ぐらいしかいないクラスというコミュニティの中で、自分より絵がうまい人がいるってことは、自分の絵なんかどうってことないんだって気づいて、それっきり絵を描くのをやめてしまったっていうことをね、言っていた子がいて。
うん、まあ確かにさ、絵でひとかどの人物になろうと思ったら、たかだか30人ぐらいのクラスで一番になってないのに、ひとかどの者になろうなんてちょっと無理だよねって思ってしまう気持ちもね、すごくわかるなと思うんですけど。
僕がその時に感じたことがあって、私の姪っ子とお父さんのエピソードを聞いたときも思ったんですけど。
多くのことってそんなに吟味して決めないじゃんって思うんですよね。

例えば、僕が誰かと一緒にプロジェクトをやりたいと思ったとしてね。
例えばですけど、この番組で創作劇をやりたいと思ったりするじゃないですか。
僕が脚本を書いて、いろんな役柄でやりたいよと。
こういうフリートークじゃなくてね。
僕なんかは別にそれでお金を得るわけじゃないからさ、選択肢なんかないわけだけども。
その中で、演技ができそうな人をめちゃくちゃ吟味して探すかって言ったらそうじゃなくて、どっちかっていうと人間関係の中で「この人とやりたいな」とか、「この人だったら味がありそうだな」みたいなことで選ぶと思いますし、この例だとスケールがちっちゃいけど、多分本質的に社会ってそうやって動いてるんじゃないかなと思うんですよね。

事業を始めるときに、人を誘うとして。
例えば、広告を作る会社を立ち上げようとした時に、「そうだ、デザイナーが必要だな」ってなった時に、自分の会社に雇うとしたらどんなデザイナーがちょうどいいだろうと考えたとする。
世の中にいるデザイナーの中でできる限り上手な人を探そうっていうよりは、自分の身の回りの人間関係の中で「一緒にやりやすいような人って誰かいるかな」と。
その中で自分の事業として一緒にやっていけるくらいのスキルのある人っているかな、みたいな、そういうやんわりとした探し方をするような気がするんですよね。

例えば、ハリウッド超大作を作るみたいなことで俳優さんを選ぶとしたらさ、オーディションをして少しでも上手な人を探すとかさ。
そのプロジェクトとしては、「この人を主役にあてて大成功させたい」みたいな役者を初めから決め打ちして作る場合もあると思うし、そういう場合は人間関係の中で、だらっと決めたりはしないだろうけど。
それにしてもさ、そんなに順位をつけて決めてるわけでもないと思うんですよね。
いろんな作用が働いて、キャスティングとかもされてると思うし。
ましてや、もっと広い意味でのスタッフとか、全部で言ったら、世界中のよりすぐりのスタッフを集結させて作ってるってわけでもないと思うんですよね。
ハリウッド超大作とは言えね、やっぱりひとつひとつの人間関係の中で、そういった座組って組まれていくような気がしていて。

そう考えてみると、別にクラスの中で一番うまいとか、なにかのコンテストで賞を取ったとか、そういったことでなかったとしても、その技術がある程度のものであれば、それで食べていくっていうこともそうだし、それで活動していくっていうことは十分できるのかもしれないなっていうふうに思うんですよね。
だから、技術を少しでも高めるっていうことももちろん大切なんだけども、それ以上に、やっぱり人間関係を築いていくことの方がじつは必要で。
だけど、やっぱり自分の中で確固たるものを作りたいと思うから、例えば音楽、ピアノであったら、ピアノがどれだけ技術が高いかっていうところを目指したくなってくるんだけど。
仮に技術が高かったとしても、見つけてもらえるだけの人間性がないんであれば、人間性とか関係性が築けてないんであれば、すごくうまかったとしても、あまり日の目を浴びないってこともあると思うしね。

仮に、天才的にうまかったら、そういうことはあると思いますよ。
サッカーで言ったら、クリスティアーノ・ロナウドとかメッシぐらいのレベルだったら、もうどこにいたって見つけられると思うんですよ。
天才だからね。
だけど、そうじゃなかったとしたならば、やっぱり縁みたいな要素が大きい気がするんですよね。

ただ、縁を掴むためにはふたつ重要なことがあるような気がしていて、ひとつは続けていることだと思うんですよね。
続けてないのに、縁は巡ってこないと思うんですよ。
ピアノっていうことであれば、それほどうまくなかったとしても、ずっとピアノを続けている、20年、30年ピアノを続けているって状態はとても必要で。
辞めてしまった人に声はかけないと思うんですよね。
もうひとつは、やっぱり縁を作っておくっていうことだと思うんですよ。
自分のまわりの中である程度人間関係が構築できているんであれば、それがもともと目的のあるものでなかったとしても、機会が訪れるっていうことはあるような気がするので。
自分がやりたいと思うのであれば、まわりの人のレベルはどうあれ、自分がまわりの人のレベルと比べてどうであったとしても、続けているっていうことがすごく大切なことなんじゃないかなと思って、今回はそういうテーマで話をしてみました。

自分を振り返ってみてもそうだなと思うんですよね。
例えばお芝居をやるって考えた時も、僕なんかは40代入ってから始めてるからね、うまくないわけですよ。
「子役からやってました」とかさ、「10代の頃からやってました」って。
そっちの方が圧倒的にうまいんだけど、でも不思議と始めてから自分は常になにかしらの舞台に出ていて、それで稼げてるってわけじゃないけどね、是非出てほしいって声をかけてもらえることっていうのはずっとあったりして。
でもそれはどっちかっていうと人間関係の中で築かれているもので。

僕、教育関係の事業を手伝っているんですけど、それもじつはお芝居がきっかけで誘ってもらってるんですよね。
お芝居がきっかけで「ちょっと一緒にやってみない?」って誘ってもらっていて。
でも、それで言ったらもう、演劇に誘われてるわけでもないからね。
さらに、僕は教育関係の専門家でもないわけで。
そういう僕を誘うっていうのは、人間関係以外のなにものでもないわけで。
自分を振り返ってみても、やっぱりそういうもんだろうなって思うんだよね。
自分がやりたいって思うのであれば、いろんな邪念に惑わされずにそれを淡々と続けておくっていうのがすごく大事なことだなと思いますね。

今回は、自分が好きなことで活動していきたいって思った時に、なにが大切なのかっていうことを考えてみました。
ひとつは、それをずっと続けておくこと。
もうひとつは、人間関係を大切にしておくことなんだろうなって、義理の弟さんと娘さんのエピソードと、自分自身の経験を思い返してみて、そんなお話をさせていただきました。

はい、今回は、そんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。