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オンライン喫茶しゃびのオフなひととき(テキスト)

508.「仕事=お金」という時代の終焉

僕、この4、5年ね、ずっとお芝居をやっているんですけれども、自分がお芝居をしている感覚が刻一刻と変わってくるんですよね。

最近、僕にとってお芝居ってなんなんだろうなってことを考えた時に、「仕事」っていう感覚が強まってきてるんですよ。
それは別に悪い意味ではなくてね。
なんか仕事みたいになってきちゃったよ、みたいなことではなくて。

どういうことかっていうと、僕は別にお芝居をすることによってお金を稼いでいるわけではないんですよね。
僕はサラリーマンをして、営業をしてお金を稼いでいて、わかりやすく言えば、お芝居っていうのは趣味なんですよ。
だから好きな時にやればいいし、好きな時に辞められるんだけれども。
ただ、自分のいわゆる生業ってわけではないけれども、仕事としてお芝居をしているっていう感覚がね、日に日に強まっていて。
この根っこにあるものってなんなんだろうなってすごく思うんですね。

これはね、僕、ひとつは時代なんじゃないかなと思ったんですよ。
僕の感覚の変化っていうのももちろんあるんだけども、時代なんじゃないかなっていうのがあって。

なにが言いたいかっていうと、お金を稼ぐために働く。
働くとはお金を稼ぐことなんだっていう時代って、もうとっくに終わりを迎えてるんじゃないかなっていうように僕は感じるんですね。
それは美談として言いたいみたいな、生き様みたいな、なんかそんな話ではなくて、社会的な背景として、例えば戦後の高度経済成長期、日本がすごく豊かになっていってた時代ってあるわけじゃないですか。
所得倍増計画みたいなさ、所得がさ、倍になっちゃうんだよ、数年の中でね。
で、10年の中で所得を倍にするっていう政治的な計画の中で、実際は数年のうちに国民の平均所得が倍になったという、かなり稀有な時代があったりしたわけで。

そうなった時に、いわゆる三種の神器って言われる、テレビだとか冷蔵庫だとか、洗濯機、エアコン、そういったものがある。
車とかね。
なにが最初の神器で、なにが新三種の神器だったかちょっと忘れちゃってますけど、そういったものが手に入るっていうことのウキウキ感ってすごかったと思うんですよね。
これが手に入ったことで生活が著しく変わるぞって。
今まで手洗いしなければいけなかったものが、洗濯機があるだけで、放置してたら洗い終わるじゃないかと。
今までテレビみたいな娯楽ってなくて、映画館とか劇場に行かなかったらエンタメを享受できなかったのが、家の中でなんと相撲が見られて、プロレスが見られて、野球が見られて。
自分の人生が豊かになるんだ、みたいなことってあったと思うんですよね。
車があることによってこんなに遠くに出かけることができるんだとかさ、いつも暑くて寒くて苦労してたけど、部屋の中が一年中快適な温度であるみたいなことって、やっぱり人生を大きく変える変化なんだろうなって思うんですね。

ただ、今の時代ってそういうわけでもないじゃないですか。
もちろん、AIが発達して、誰でも絵が描けるようになったとかさ、音楽が作れるようになったとかはあるけれども。
例えば、3万9800円で買える洗濯機と230万する洗濯機の差って、洗濯機があるのとないのとの差と比べたら微々たるもんだと思うんですよね。
だから、お金をたくさん積んだことによって、自分の人生とか生活のクオリティの上がり方っていうのはある程度限定的になっている。

「コモディティ化している」って言いますけど、100円ショップで売っているコップと、1万円、2万円するコップに、質の差がどれだけあるのか。
それほどなくなっているっていうのがコモディティ化っていう言い方だとするならば、自分が稼いで稼いで、今より少しいい車が買えた、少しいい冷蔵庫が買えたってなったとしても、その所得の差ほど人生のクオリティって上げられなくなっているんだろうなって思うんですよね。

スマホだってそうじゃないですか。
別にどのスマホ買ったってある程度同じような機能があるわけですよ。
僕ももう数年前のiPhone使ってますけど、別にiPhoneを今から買い替えたところで大した差がないわけですよね。
だから、自分が例えば死ぬほどお金を持っていて湯水のようにお金が使えたら、毎回iPhoneを買い換えているのかもしれないけど、別にだからといってそんなに変わらないわけですよ。
ただ、データとかをバックアップして移したりとか、買いに行ったりするのがめんどくさいだけで、別に今のまんまで大丈夫だから、そのまま使ってるわけですよ。
お金がないから買い換えられないわけじゃなくて、別に買い換える必要がなくなってる、そういう時代なんだと思うんですよね。

元々の話に戻ると、働くっていうことはお金を稼ぐことだってなった時に、お金をいっぱい稼げるようになったら自分の人生が良くなるのかっていったら別にならないので、お金を稼ぐこと以外で自分の人生を豊かにしていかなければならなくなったっていうのが今の時代だと僕は思っているんですね。

所得倍増とかって言ってた頃は、もっと稼いで、もっと働いて、もっと稼いで、「24時間働けますか」とやって、どんどん生活的に豊かになっていく、お金が稼げるようになっていく。
うちの父親の時代なんかは本当にそうでしたけど、(現代は)そういったことによって自分を豊かにしていくのではなく、働いてお金をもらうっていうところはある一定程度あればいいよと。
全然稼げてなくて生活が苦しいっていうことであれば、もちろんそれを上げる努力をしなければいけない。
毎日食べるものに困っている、住む場所にも困っているってことであれば、それを上げることによって人生のクオリティってのはもちろん上がるんだけれども、そこがある程度に行ってしまっているのであれば、別のところに自分の稼ぎどころというものを探さなければいけない。
稼ぐっていうのはお金ではなくて、お金以外のところを、稼ぐところを探さなければいけないっていうのが現代社会なんじゃないかなって思うんですね。

で、さっきの芝居のところに戻った時に、僕はお芝居をすることによって金銭は得ていないんだけれども、そのことによって人間関係が豊かになったり、お芝居という別の人間を演じたりすることによって、内省をすることができる。
人間に対する理解を深めることができたり、表現力が高まることによって、人と関わる時に自分が相手に伝えるっていうことが前よりもできるようになっていたり。
自分の表現力だったり、人間関係だったり、そういったものを稼ぐことによって自分の人生が豊かになっていく。
だから、僕はお金を稼ぐっていうことではなかったとしても、自分にとってお芝居っていうのはひとつの仕事なんじゃないかなっていうふうに今は感じるようになったんですよね。

これは元々そう思ってたっていうよりは、人前に出るのが僕は大好きなので、人前に出てアウトプットするっていうのはカタルシスがありますからね。
すごくスッキリするし、ああ、やったなっていう感じがするから。
人前に出て、それを見てもらって、あーやったな、スッキリしたな、みたいな。
そういったことが自分の動機、自分が出たいっていうことが動機だった。
その時点では、僕にとってお芝居っていうのは、お仕事っていうこととはまたちょっと違った感覚なんですけれども、最近はお芝居をやることによってカタルシスを得ようっていう感覚はすごく減っていて。
逆に言うと、お芝居を続けていることによって、日常的にある程度自分がしたい表現ができているので、わざわざお芝居で語る思想を得なくても大丈夫になってきたっていうのがあって。
芝居に対する動機が変わったことによって、芝居が仕事っていう感覚に近づいてきたのかな、なんていうふうにね、思いますね。

芝居やってる人なんてさ、世の中ではそんなに多くはないとは思うんですけどね、パーセンテージ的にはね。
でも、皆さんが日々活動していく中で、いわゆるお金を稼ぐための仕事っていうのはもちろんなきゃいけないと思いますし、あとは、余暇として消費活動を行うためのもの。
映画を見たり、音楽聞いたり、おいしいものを食べたりとかって、そういうのもあると思うんだけれども、それ以外に、お金以外のものを稼ぐ活動っていうものがやっぱりひとつ、ふたつあると。

昔の、高度成長期みたいなわかりやすい稼ぎ方ができなくなった今、(お金以外のものを稼ぐ活動が)人生を豊かにするんじゃないかなっていうことを僕はお芝居を通してすごく学ばせてもらったので、今日はそんな話をさせていただきました。

これは、お芝居をぜひやった方がいいよってこととはまったく違って、その人それぞれ、僕にとってのお芝居に当たる部分っていうのがあると思うので。
そういうものを見つけていくと、今の給料を定期昇給で上げようとか、副業で上げようとかっていうよりも、もしかしたら「いい稼ぎどころ」ができるんじゃないかな、なんてことを思ったので、今日は、そんな話をさせていただきました。

今日は、そんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。