「好き嫌いが激しい」って言い方あるじゃないですか。
食べ物とかでもそうだし、人に対することでもそうだし。
今回話したいのは人に対することなんですけど、僕は自分のことをあまり好き嫌いの激しい人間だとは思ってなかったんですね。
というのも、僕、嫌いな人っていうのがあんまりいないんですよ。
うん、ほとんどいない。
まったくいないとは言わないけれども、ほぼいないんですよ。
だから僕は比較的自分、自己評価では隔てない人間だっていうふうに思ってきたんですね。
なんか最近、ちょっとそれは違うんじゃないかなっていうふうに思い始めてきて。
よく言う言葉で、「好きの反対は無関心」って言い方あるじゃないですか。
「好き」の反対は「嫌い」じゃなくて「無関心」なんだよって言うことってありますよね。
だから、「好き嫌いが激しい」って言い方を「好む関心が激しい」っていう言葉に言い換えた時に、僕ね、好む関心はすごい激しいんですよね。
要は、嫌いな人がなんでいないかって、嫌うほど興味がないんですよね。
好きな人以外は興味がないんですよ。
だから、嫌いな人がいないっていうだけで、基本的に誰でもある程度好きってわけじゃないんですよね。
誰のこともある程度好きだから、私は好き嫌い激しくないよって言うんだったら、その人は好き嫌い激しくないと思うんですけど。
僕は誰のこともある程度好きなんじゃなくて、好きな人と無関心な人しかほとんどいないから嫌いな人がいないっていう、ただ単純にそれだけのことだったわ、っていうのをね、最近はたと思ったんですよね。
ある意味すごい隔ててるなっていうのはあるね。
無関心な人、自分があまり関心を抱けない人と一緒に過ごしてるんだったら、自分が好きな人とできるだけ過ごしたいなってすごい思うし。
でもこれはしょうがないね。
無関心な人がずっと無関心のまんまかって言ったら、別にそういうわけでもないんだよ。
その人と関わっていく中で、この人好きだなって思うようになるってことも多々あるから。
そこは決めつけちゃってるわけじゃないんだけど、自分の中の好みとして、この人すごい好きだわっていう人と、あんまり興味抱けないなっていう人に、わりと別れちゃうなっていうのはあるね。
こういう人が好きで、こういう人は無関心っていうのが、明確な線引きがあるわけじゃないんだけどね。
ただ、ひとつあるのは、自分の中での好きの基準としてね、抽象度の合う人っていうのは、僕はすごい好きなんですよね。
考え方が合う必要はないんですよ。
抽象度が合ってる人が好きなんですよね。
考え方が全然違っても。
自分が話した時に、それを非常に具体的に解釈して、こういうことってあるよねとかって、すごいチープに言われてしまうと、なんかちょっとげんなりしちゃったり。
あとは、現実からすごく遠く離れすぎて、ずっと抽象論を言われちゃうと、なんか退屈だな、みたいな。
そこらへんの塩梅が合ってるなって思えた時に、この人すごい好きだなっていう感覚を得ますね。
うん。これはね、明確に自分の「好き」の基準になってる。
ただ、その抽象度が合わなかったとしても、好きな人っていうのはいるから、それだけではないけれどもね。
自分の中にある程度「こういう人好きだな」っていうパターンがいくつかあって、それ以外の人にはあんまり関心がないのかもしれないね。
しょうがないよね。
それはね、僕はけっこう、人間関係重視だからさ。
人とコミュニケーションを取ったりするのがすごく好きなので、そこを大事にしているから、あんまりそこで自分が過ごしている楽しさのクオリティが落ちてしまうと、自分の人生の満足感が下がってしまうんですよね。
それは僕の都合だけれども、多分皆さんにもそういうのがあると思うんですよね。
せっかくだから考えてみてほしいのは、自分が「好き嫌いが激しいかどうか」じゃなくて、「好き」の関心が激しいかどうかって基準に変えて、自分がどうかっていうのを一度考えてみてもらった上で、で、「どういう人が好きなのかな、私」とかってね。
それがある程度わかってた方が付き合いやすいような気がするね、人とね。
だからといってさ、ある程度分け隔てなく生きていくっていうのも大事だとは思うけれどもね。
そんなわけで、よかったら、そういうことを考えてみてもらえたらなっていうふうに思います。
はい、今日はそんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。