こうやってね、音声配信を始めたわけですけど、僕は音声配信がすごい好きで、いろんなプラットフォームで今までやってたんですよね。
初めてやったのがVoicy。
Voicyは僕がひとりでやってるチャンネルで、仲間内でね、みんなでやってたチャンネルがあったり、そのあとひとりでRadiotalkをやって、そのあとHimalayaに行って、あと、名前変わっちゃったけど、Anchorっていうのでやってたり、ここのスタエフ(stand. fm)でやってたこともちょっとあったり。
YouTubeで音声配信をやったりもしてたんですよ。
動画のプラットフォームで、音声でやったりもしてたり。
いろいろと渡り歩いてきたわけですけど、そんな中で僕が話したいなと思ったのは、今はいろいろな音声配信があるんですけど、そのなかで僕が一番思い出深かったのは、Himalayaなんですよね。
今出した名前の中で、Himalayaが一番有名じゃないと思うんだけど。
っていうのもね、Himalayaってもうなくなっちゃったんですよね。
音声配信のプラットフォームとしてはうまくいかなかったみたいで、別の事業としてはHimalayaは残ってるんだけど、音声配信っていう事業としては縮小してしまって。
なくなっちゃったから、投稿できなくなっちゃったんですよね。
かなり短い間だけしかなかったんですよ、Himalayaって、音声配信プラットフォームとしてはね。
だけどね、その時期、めちゃくちゃ盛り上がってて。
じつは、うまくいかなかったわりに、音声配信仲間的にはすごい盛り上がってて、すごく友達ができたんですよね。
音声配信友達がね。
でね、その中で文化が作られていて、当時からもう、stand. fmとかもあったし、stand. fmの方が有名で、Himalayaが伸び悩んでたりしたもんだから、配信している仲間同士で「Himalayaをなんとか盛り上げようぜ」みたいな感じで、すごい頑張ってたんですよ。
そこでの文化ができていて、あのね、「Himalaya祭り」っていうお祭りまで開いてたんです。
Himalayaのプラットフォームの会社自体はそんなの開いてないんだけど、勝手に「Himalaya祭り」っていうの開いて、僕、その実行委員とかやってたんですよね。
どうやって盛り上げていくか、みたいな。
その「Himalaya祭り」っていうのをやって、音声配信の人たち、みんな参加してもらって、やったりしてたんですよ。
で、聞き専(配信者ではなく聞くだけ)の人たちももちろんいるから、その祭りの間、いろんな人の配信を聞き回ってもらったり、そういったことをしてたんだけど。
結局ね、Himalayaのプラットフォーム自体が閉じてしまったことで、解散にはなってしまったんですけど、その時に仲間がすごくできたんですよね。うん。
それがすごく面白いなと思って。
そもそもHimalayaっていうプラットフォーム自体が、音声配信のプラットフォームの中で文化を作っていて、「音声配信仲間同士でつながっていこう」みたいな設計をしていたわけではきっとないんですよね。
方針としてはそっちじゃなくて、どっちかっていうとYouTubeの音声配信版みたいな仕組みで、きっちりランキングとかもつけて、競争で成り立たせようっていう仕組みを作ってたんだけど、実際そこに集まってきた人がみんなで頑張って盛り上げようぜって空気を出していて。
どっちかっていうと、競争っていうよりは、みんなで共存し合おうぜっていう文化ができてきたっていうのが、偶然起こったっていうことなんですよね。
オンラインって、そういう力があると思うんですよ。
偶然集まった人たちの中で、いろんなアイデアを持ち寄って、みんなで楽しくしていこうぜっていうようなことが。
スタエフでもそういうのがきっとあると思うし、この、スタエフでもね、Himalayaの音声配信仲間と一緒に、毎週土曜日にスタエフライブをやっていた時期もあったんですよ。
そのあとに、そのプラットフォーム自体は解散してしまったんだけど、全然関係ない、NFTってあるじゃない。
NFTのコミュニティ作ろうぜって言って、その音声配信仲間たちとコミュニティを作ろうとしていた時期があったり。
他にもね、音声配信仲間たちと、全然音声配信とは関係のない取り組みをしていた時期もあったんですよね。
うん、なんか、一緒にみんなで瞑想したりしたよね。
音声配信仲間のうちの一人がさ、マインドフルネスメディテーションっていう名称の資格を持ってたんですよね。
その人に教えてもらって、みんなで集まって、オンラインで瞑想する時間を録ったりしてた時期もあって。
僕、そこで瞑想教えてもらったから、今も毎日毎日、朝やってるんですよ。
そんなこともあったりして。
音声配信って思い出深いんですよね。
なんで今日そんな話をしたかっていうと、オンラインでそういう文化を作ってね、みんなでいろんなことをやっていくのって、すごくいいなと思うんですよね。
「居場所」っていう言葉があるじゃないですか。
たぶん、コロナ禍の時期に、数年前になかなか人と顔を合わせるのが難しくなったねっていうところで、「サードプレイス」とか「居場所」っていう言葉がすごく有名になったというか、大事だよねって言われるようになったと思うんですけど。
僕個人の感覚とするとね、居場所って、ここが居場所だぜっていうところってじつはないんじゃないかなと思ってるんですよね。
僕にとって居心地のいい場所っていうのは確かにあるけど、ただドンピシャで「ここがめっちゃ居心地がいいわ」「ここが居場所だ」っていう唯一の場所があるっていうことはありえないんじゃないかなっていうふうに思っていて。
それはなんでかっていうと、ひとつだけしか居場所がなかった場合、人ってそこに執着しちゃって、結果的に不健康なことになってしまう可能性が高いんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよ。
結局、自分にとって居心地のいい場所がここしかないよって思っていたら、そこで自分の居心地を確保していないと、自分の居場所がなくなっちゃうわけじゃないですか。
だから、どうにかして自分はここで居心地よく居続けようとして必死になってしまって、必死になった時点で、そこはあまり居心地のいい場所じゃなくなってしまうみたいな、そういう不健康さがあるような気がするんですよね。
いわゆる依存が強くなってしまうみたいなことがあるような気がするんですよ。
そう、だから、「居場所」みたいな、自分がいる場所っていうのは、いくつか持ってこその「居場所」なんだろうなっていうふうに思うんですよ。
そこがドンピシャ居心地がいいっていうことでなかったとしても、自分にとってそこそこ居心地のいい場所っていうのが3つぐらいある。
2つ3つあれば、そこを渡り歩いて過ごしているとさ、自分の中で健康的に生きられるというか、3つぐらいあったらさ、そのひとつにめちゃくちゃ執着する必要もないわけじゃないですか。
なにかあったら、そことは疎遠になったあとの2つのところに頻繁に行こうみたいなね。
そのうちにもう一個できて、3つになったらまたいいよっていうのとかね、そのぐらいの軽いノリで、居場所っていうのはあった方がいいんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
学校にしか私は居場所がないとか、会社にしか居場所がないとかさ、地元の仲間と一緒にいる時しか居心地良くないとか、恋人といる時だけが私は私でいられるんだみたいなことだと、比較的依存せざるを得ない。
その人が不健康ってことじゃなかったとしても、結果的に依存するしかないみたいなことになってさ。
そう考えた時に、オンラインの中にひとつそういう「居心地のいい空間」っていうのを持っておくと、それで一個カウントされるわけじゃないですか。
現実の社会の中でコミュニティを増やしていくって、そんなに簡単なことではないじゃないですか。
学校があって、会社があって、自分が所属している、なんか別のね、趣味のコミュニティとかがあったりもするけど、そんなに簡単にあっちこっち探してこられるわけでもないからさ。
そう考えると、会社があって、家族がいて、オンラインの居場所があって、もうひとつ、趣味のコミュニティがあって、みたいなことだとさ、その趣味のところで、自分の、例えば読書の仲間たちと繋がって。
会社は会社で、働きながら一緒にたまにごはん食べたりして、家族は家族で一緒に生活を送ってるわけで、そんな中にさ、さっきの音声配信の、Himalayaの仲間たちのコミュニティみたいなのがあって。
そういった文化っていうのは、別にプラットフォーマーとしてのThreadsが色々文化を提供してくれるってわけではなくて、自分たちで作っていくものだったりもするからね。
自分の身の回りの人たちと一緒になにか文化を作っていって、そこが居心地のいい空間になれば、そこだけっていうことになってきちゃうとまたそれはそれでね、さっき言った話で、オンラインの空間だけに執着するっていうのはあまりいいことではないのかもしれないけど、いくつかある中のひとつにオンラインの空間っていうのがあるのは、すごく健康的なことだなっていうふうに思うんでね。
だから僕も音声配信だとか、Threadsでも喫茶店やってるわけですよ。
他の人もいろんなことをやってるから、そこにも参加させてもらったりなんかしてね。
そこで、繋がりを作っていくっていうのは、日々の営みとしてはめちゃくちゃいいな、なんていうふうに思うんですよね。
そういうわけで今回は、自分の音声配信の思い出を語りながら、オンラインの中に居場所を作るっていうことの意味について考えてみました。
やっぱりさ、人間は現実世界を生きるものだと思うから、オンラインに偏りすぎちゃうっていうのも、なんだとは思うんだけど。
現実社会でも、自分のいるところがあって、オンラインにもあって、みたいなところを目指していけるといいんじゃないかなっていうのが僕の中での結論ですね。
とはいえ、「居場所がないと生きていけないんだ」って、「私には一個も居場所がないんだ」って、どんどん追い詰められて焦るっていうのもあまり良くないからね。
もし、自分の居心地のいい場所っていうのが見つからなかったとしても、あっちこっちに顔を出してみて、心地のいい、フィットするような場所を探していくっていうスタンスでいいような気がするんですけどね。
僕はね、いわゆるオンラインサロンみたいなところにも所属していたことがあってね。
オンラインサロンって言っても、実際に会うことが多かったから、オフラインサロンに近いサロンだったんだけど。
そういうものも最近いろいろできているし、なかなか自分が社会生活の中で、会社とかそういったところで居心地のいい場所が見つけられないなっていう場合は、そういうところに入ってみるのもいいと思うし。
そんなことでね、(居心地のいい場所を)いくつか持っておくっていうのがいいんじゃないかなっていうことで、今回の話を締めさせていただこうかな、なんていうふうに思います。
皆さんにとって「居心地のいい場所」っていうのはどこかっていうところも考えてみてもらえると嬉しいな、なんて思います。
今日もありがとうございました。バイバーイ。