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オンライン喫茶しゃびのオフなひととき(テキスト)

476.人間関係の適切な距離感

人間って不思議なもので、社会的にうまくやっている人であっても、ありとあらゆる人間関係が円滑に進んでいるかというと、そうとも限らないじゃないですか。
例えば、社会的にはすごい成功してるけど家庭生活がうまくいっていない人もいれば、逆に、社会的にはうだつが上がらないけれども家庭円満っていう人もいたり、色々だと思うんですよね。
いわゆる「コミュ力」みたいなものって、あってないようなもので。

「コミュ力高いよね」っていう人って、どっちかっていうと、初対面の人とも話が回せるような社交的な人のことを「コミュ力高いよね」って言うんだと思うんですけど。
でも、夫婦間とか、恋人との間とか、家族とかさ、すごく身近な仲間内の中で、「うまいこと仲良くやっていける人」イコール「コミュ力の高い人」かっていうと、そうでもない気もするんですよね。
そういう社交的な人だからって、内側の人間関係がうまくいくかっていったら、そうとも限らないみたいなところがあって。

だから、自分の射程圏をどこに置いて、自分に対してどの関係性だとコミュニケーションが取りやすいのかっていうのは、人それぞれバラつきがあるんじゃないかな、なんていうふうにね、思うわけですよ。
そういう中で、やっぱりとりわけ難しいのって、「コミュ力が高い」っていう人の例で出したような、初対面の中でうまくやっていくとかっていうのって、どっちかっていうと技術的な話になってくるので。
元々上手な人はいるかもしれないけど、技術的なものがきちっとあれば、そういうところっていかようにでもくぐり抜けられるんですよね。

遠い間柄の人と少し身近になるっていうフェーズって比較的楽だと僕は思ってるんですよ。テクニックさえ身につければね。
でも、すごく難しいのって、やっぱり近しい間柄の人との関係性の築きかただと思うんですよ。
例えば一説によると、離婚件数みたいなのを見るとさ、「3組に1組が離婚しますよ」みたいな。
あれ、ちょっと統計の仕方が難しいですけどね。
ある年の結婚した人の数と離婚した人の数を比べてみると、結婚した人の数の3分の1ぐらい離婚件数があるから、3分の1離婚してますよっていう計算なだけであって、別にその年に結婚した人の3分の1が離婚するかって言ったら、別にそういうわけでもないから、その統計の取り方としては正しいのかどうかわかんないけど、とにかくそれなりの数の人が離婚してるわけですよね。
離婚しなかったとはいえ、離婚しないで生活してる人たちも、それが円満かっていうと、そうじゃない人だってたくさんいるわけじゃないですか。
それだけやっぱりね、結婚しようってなった時はさ…
いえ、「結婚したくないけど仕方なしにするか」みたいな人って少ないと思うんですよね。
どういう結婚の仕方であったとしても、多くの場合、結婚することにハッピーな未来を思い描いて結婚してる人の方が多いとは思うんだけど、実際年月が経ってみるとなかなか難しくなってくるっていうのは、誰かの人間性が破綻してるみたいな話ではなくて、やっぱり近しい人間関係っていうのは難しいってことに尽きると思うんですよ。

どうしてそういうことが起きるのかなって考えた時に、近視眼的っていうことがあるような気がするんですよね。
僕も含めて近しい間柄になればなるほど、ひとつの嫌なところで受けるダメージがでかいんですよね。うん。
例えば、この人は相手のことを全然気遣ってくれない人なんじゃないかとか、自分のことを全然気にかけてくれてないんじゃないか、みたいなことを思った時に、その人が配偶者だったり、家族だったり、近しい人であればあるほど、めちゃくちゃショックじゃないですか。
でも、本当に相手の人が自分のことを気にかけてくれてないかどうか、わかんないんですよ。
でも、そう感じた時のショックがでかいから、もうそれだけでも、相手のことに対する評価がめちゃくちゃ下がっちゃうっていうことが起きてくるんだと思うんですよね。

でも、その人のこと、もうちょっと遠目から見てみると、いいところってたくさんあって、もしかしたらその人っていうのは、社会ではものすごく慕われてるかもしれないしね。
社会的にその人を見ている人っていうのは、そんなに近い距離で見てないからさ、「よく笑う人だな」とかさ、「仕事ができる人だな」とか、「職場を和ませてくれる人だな」とか、「小話がエッジが効いてていいね」とか、「親切な人だな」とかっていうことで、その人の評価を上げられるんだけども。
近くなった途端に、ちょっとしたこと、「出張に行った時に毎回お土産を買ってきてくれない」とか、「出張先で私のことを一回も思い出してないんじゃないか」みたいなことがあったとしたらさ、それだけでちょっと嫌だったりするじゃないですか。

そういう難しさって、夫婦だけじゃなくて、職場のすごく近しい間柄とかでも起きると思うんですよね。
直属の上司と部下とかね。
夫婦ほどじゃないにしても、近くに寄りすぎちゃってるから、この人のちょっとした言い方がすごくパワハラに見えてくるっていうか。
なんかいっつも嫌味っぽい言い方をするから、精神的にだんだん病んできちゃうよね、みたいなさ。
遠くにいたら、ちょっとぐらい嫌な言い方されても「この人はちょっと言い方悪い人なんだね」ぐらいで許せるのかもしれないけど、みたいな。

そう考えた時に努めて気を付けなければいけないのは、身近にいる人であるからこそ、身近でありすぎないっていうことって、僕はすごい必要だなっていう風に思っていて。
夫婦であろうが、直属の部下であろうが、同僚であろうがね、親子関係であろうがさ、あの、他者なわけですよ。
親子だと他人って言い方をしないのかもしれないけど、他者なわけですよね。
それで、他者である以上は完全に共感することなんかできないし、わかんないことはわかんないわけですよね。
だから、ある程度距離感を保ってその人と接する。
そこで大事なのは、距離感を保つからといって、その人に対する眼差しを失わないっていうことが僕は重要かなと思っていて。

その人を、平たく言うと「愛情を持って見守る」っていうか、その人にきちっと興味を持って見てはいるけれども、あまり距離を詰めすぎないっていう、このバランスがすごく大事なような気がするんですよね。
近しい間の人であればこそ、その人のことを見つめるけれども、距離感を詰めすぎない。
自他境界線みたいなものはきちっと保つっていう、このバランスを保っていることが人間関係をうまくやっていくコツなんじゃないかなっていう風に思うんですよ。

それで、これは逆のこともあって。
距離がものすごく遠いと、それはそれでうまくいきづらいっていうのが、逆のパターンとして僕はあると思っていて。
昔は距離感がめちゃくちゃある人とは接点がないから揉めることはなかったんだけど、今、SNSとかでつながっちゃうじゃないですか。
で、SNSでフォロワーであるみたいなことって、大した接点じゃないですよね。
ただフォローしてるだけだからなんだけど、その人のちょっとしたつぶやきだったりとかが目に入るから、遠いんだけど、その人が思っていることだけはわかってしまう。
この、ものすごい距離感、遠い距離感っていうのも結構危険で、SNSに乗っかったひとつの事柄だけでその人の人間性を把握せざるを得なくなってしまって、それが合わないだけで、この人の言ってることは無茶苦茶だとなって揉めちゃうこと。
そういうのって絶対あると思うんですよね。

さっきの身近な人の例でいくと、ある程度距離感を保った上で見つめるっていうことが大事っていう話をしたんですけど、この距離感の保ち方っていうのも、遠い人に関してもまったく同じことが言えて、遠い人なんだったら遠い人であるっていうことをきちっと認識しておく必要があって。
文章をひとつ取っただけで、その人の思っていることとか性格とかを分かった気にならないっていうことが、SNSを始めとした遠い人間関係の鉄則だなっていうふうに思うんですよね。
その距離感を正確に把握した上で、ただフォローをしていて、ただひとつの、140文字程度の投稿を見ただけなんだ、その背景になにがあるかっていうのはまったくわかってないんだよっていうこと。
そういうことを認識した上で、SNSとか短い情報のね、やり取りっていうのを見るようにしないと、いろんなことに傷ついてしまったり、人を傷つけてしまったりってことにつながるので。

すごく近い人間関係の難しさと遠い人間関係の難しさっていう話をしましたけど、大事なのは、その人に向けた眼差しと、その人との距離感を適切な状態に保っているっていうところ。
近くに行けば行くほどいいってわけでもないし、遠ざかれば遠ざかるほどいいってわけでもないと思うんですけど、そこをわきまえて人と接するっていうことを僕も心がけていきたいなって。
僕もね、SNSやってるし、家族も子供もいるし、親もいるし、妻もいるからね、そういうふうにしていきたいな、なんてことを思ったので、今日はそういうお話をさせていただきました。

はい、今日はそんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。