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オンライン喫茶しゃびのオフなひととき(テキスト)

514.働いていると本を読まなくなるのは何故か。

比較的最近ベストセラーになった本で、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」っていうね、新書があるんですよね。
僕はそれ、読んでないんですけど、その作者の方がYouTubeで対談してるのを見させていただいてね。
僕自身は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」っていう本を読んでないので、どういった話が書いてあるのかを知らないんですけど、一回読んでみたいですけどね、なんでかなって、ちょっと思ったんですよね。

僕自身が大人になってから本が読めなくなったって実感がすごくあるかっていうと、そんなにはなくて、もともとそんなに本を読む方じゃないんですよね。
人並みに若い頃読んでた感じだし、今も人並みしか読んでないから、あんまり変わってない感じがするんですよ。
もともと、そんなに読書家じゃないんですよね。
ただ、働いていると本が読めなくなるっていう感覚はなんとなくわかるっていう感じがしますね。

学生の頃は本を読む時間ってけっこうあって、特に大学生の頃とかはね。
だから、浴びるほど読もうと思えば読めたんですけど、僕の場合、映画がすごい好きだったので、本を読む暇があったら映画を見たいってことで。
本の代わりに映画を見てたっていうことで言うと、合算するとすごく物語を消費してたというか、映画を見たり、本を読んだりとかって、トータルするとけっこうそういうことに時間を割いてたなって。

で、僕の場合はね、「働いていると映画を見る時間がなくなる」のか。
なぜ働いていると映画を見られなくなるのかっていうことで言うと、なんかすごく腹落ちするんですよね。
映画を見始めるとね、やっぱ映画っていいなと思ってね。
次へ次へって見るんだけどね、しばらくするとまた見なくなっちゃって。
そうするとね、何ヶ月も見ないまんまっていう感じになるんですよ。
学生の頃は一日3本とか見てたんですけど、全然そういう感じではなくなってくる。
さすがにさ、一日3本なんて働いてたら見られないんだけど、とはいえ、休みの日に1本ずつ土日で見るぐらいはできるんだけど、しないなっていうのがあってね。

そのことを考えていた時に思い出したのが、「花束みたいな恋をした」っていう映画があってね。
あるカップルが出会って、付き合って、別れていくっていう、まあまあよくあるラブストーリーなんですけど、そのカップルはアンダーグラウンドな世界が好きだったりして、コアな音楽を聞いて、お笑いライブを見て、好きな本を読んで、そのことについてカップルの2人で語り合うのがすごく楽しいっていう、そういう付き合い方をしてるんですよね。
その男性のところに行くと、「私が好きな本ばっかり置いてあるわ、やっぱり趣味は合うわね」みたいなことで、本とかそういったものを通じて繋がっている2人だったんだけど、その後に働くようになって、就職をして、菅田将暉さん演じる男の方が、本を読んだり映画を見たりっていうことをほとんどしなくなってしまうんですよね。
仕事に熱中して疲れていて、家に帰っても疲れちゃって、本を読む気にはなれなくて、スマホの簡単なゲームみたいなのをずっとやってるみたいな生活に変わっていってしまって。
そこから亀裂が生まれて、みたいな話だったりするんですよね。

その菅田将暉さん演じる男の人、カップルのね、男性を見ていると、これすごい共感できるなってところがあって。
やっぱり人ってね、外交モードに入っていると、内省に移るのにけっこう体力が必要なんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
映画を見る、本を読むっていう行為って、自分と向き合う行為だったりするので、普段の仕事の中で外交的に過ごしていたりすると、そっちのモードに入る時にけっこう大変だな、めんどくさいなっていうのが出てくるので、働くと本を読めなくなるんじゃないかなっていうふうに僕は感じてますね。

僕自身、映画を見始めて、映画って面白いなってモードに入ると、次へ見たい、次へ見たいってなるんだけど、一回また離れてしまうと、その映画の世界に戻っていくのがすごいめんどくさくなっちゃって。自分の心の中が外交モードに入ってるからね。
だから、なかなか本に触れるっていう機会が少なくなってくるっていうのは傾向としてあるような気がしますね。

よく「日本人は本を読まない」とかって言われるけれども、働くことがイコール外交的なモードになりやすいっていうところで、本を読むっていう習慣がなかなか付きづらいんじゃないかなっていうふうにね、僕は感じますね。
だから、いわゆる作家の人とかはさ、たぶん本を読むんだと思うんですよね。
自分の生業としていることが内省的な作業と切っても切り離せない関係にあるような仕事をしている人は、おそらく本をたくさん読んでるんじゃないかなと思うんですよ。
坂本龍一さんなんかも本当すごくて、病気されてね、亡くなってしまいましたけども、亡くなる直前まで中国の孔子とか老子とかの本を読んで、そういった思想に触れていたみたいで、はたから見ると「この人やっぱりすごいな」と思うんだけど。
たぶん彼の創作活動っていうのは、そういった内省的な作業と切っても切り離せない関係であったので、その生き様としても本を読むっていうことが根付いているんだろうなというふうに思いますね。

で、そう考えた時に、僕は両方必要だなと思うんですよ。
生きていく時にね。
大学生の頃なんかは暇だったのでずっと映画を見たりしていたんだけど、うーん、それはそれで、なんとなくこう、内省のモードに偏りすぎていた時代でもあったなっていうふうに思うんですよ。
人が生きていく時に、自分と向き合う時間と外側に向き合う時間っていうのは両方ともバランスよく必要で、外交があるから内省ができるし、内省があるから自分のことを大切にしながら人と付き合っていけるっていうことがあるからね。
外交ばかりだと自分と向き合わないので、どこで自分が傷ついているのかとか、どういうところで自分は嬉しいなと感じるのか、自分はなにがしたいのか。
で、もっと言うと、相手はどういうことに傷ついているのか、なんでこういう時にこの人は怒るんだろうか。
みたいなところを、掘り下げづらくなっちゃうと思うんですよね。
外交、外交ってなってるとね。

ただ、一方で、内向に偏りすぎていると、それって自分とばかり向き合っている行為になるので、どうしても独りよがりになってしまうところがあるんですよね。
ああ、自分はこういうことに傷ついてたんだって、自分を癒さなければいけないなっていうことばかりに気を取られてしまうと、他者に目を向けるっていうのがなかなか難しくもなってくるから。
生きていくにあたっては、内向と外交っていうのを行ったり来たりするっていうことを、いかにスムーズに執り行うのかっていうのが、わりとキーになってくるんじゃないかな、なんていうふうに僕は思うんですよね。

「仕事を内省的に行おう」みたいなことってなかなか難しかったりもするから、仕事以外の時間とか、外に出られる人はひとりになった時とかに、誰にも会わないで「自分ひとりの時間」っていうのをわざと作って、そこで、「この時間は自分のための内省的な時間を過ごすんだ」っていうふうにスケジュールとして決めてしまって過ごすっていうのは、ひとついいんじゃないかなって思うんですよね。
なだらかに外交、内向ってやろうとするとやっぱりしんどくて、どっちかに偏っちゃうので、切り替えが。
だから、「この時間は外交の時間ですよ」「この時間は内交の時間」。
外交の時間っていうのはさ、人と会っていたり、仕事をしていたりっていうのが外交的な時間なのであれば、この時間は誰とも約束をしないで、ひとりで内向的な時間を過ごすんだっていうふうに決めて振り分けていくと、たぶん「働いていると本が読めなくなるのか」ってこともなくなっていくんじゃないかなって思うんですよね。

必ずしも「本を読むことがマストである」とは僕は思ってなくて、映画を見るほうが良ければ映画を見たほうがいいと思うし、絵を見たいっていうんだったら絵を見たらいいと思うけど、ただ、自分と向き合うっていうことにはやっぱり時間を割いた方がいいんだろうなって。
そういうことをね、「働いていると本が読めなくなる」というね。
そういう本のタイトルと、著者の対談だけ見てしゃべってるので、その人が書いている話とはまったく一致してないかもしれないけども、そんなことを思ったので、今日はそんな話をさせていただきました。

はい、今日はそんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。