オンライン喫茶 4th place
オンライン喫茶しゃびのオフなひととき(テキスト)

515.別居という楽園

この配信でしゃべってたのかどうか、ちょっとあんまり覚えてないんですけど、今ね、別居してるんですよね。
私、妻がいて子供が1人いるんですけれども、別居をしていて、僕だけ今1人で住んでいて、妻と子供が2人でもともとの家に住んでいて、っていう感じなんですよ。

ちょっと変わった別居というか、別居している場所がですね、妻と娘が住んでるところから歩いて1、2分ぐらいのところに、ひとり住まいをしていて、年がら年中、家に戻ってるんですよね。
昨日、っていうか、これが配信されるところから換算すると3日ぐらい前か、この土日でも、娘が風邪引いちゃったので病院に連れてったり、妻が出かけるので、元の家の方に戻って娘にごはんを用意して一緒にごはん食べたりとかしてたり、そんな形で普通にコミュニケーションを家族としてとっているけども、一緒には住んでないっていうことが起きているわけですね。

だからね、仲が悪いってわけではないんですよ。
ただ、一緒に住んでるとね、うまくいかないんですね。
妻もそうですし、僕もそうですね。
体調的にあんまり良くなくなっちゃう。
妻の方が特にそうですね。
僕も僕で、けっこうストレス性で、去年は潰瘍性大腸炎になっちゃってたよね。
それだけが理由なわけじゃないけどね。
そんなこともあったりして、今のスタイルで、ひとまず過ごしているわけですけれども。

でね、僕ね、ひとり暮らししたのがね、ほぼほぼ初めてなんですよね。
実家に住んでた後に誰かと同棲してたりっていうことはあったんだけれども、1人で住んでいる期間っていうのがね、ないんですよね。
うん。ずっと誰かと一緒に過ごしてきました。
わりとね、僕が恋愛体質だったこともあって。
そういう人生なんですけれども、初めてひとり暮らしをしてみると、快適なんですよね。
びっくりしました。

僕自身が生活力に乏しい人間なので、働いてるぶんにはいいんですけど、家事とかがすごい苦手だったんですよね。
苦手だったっていうか、苦手なんですよね。
料理も作れないし。
だから、家事っていうのをほぼ妻に任せて、僕は誰でもできるようなゴミ捨てね。
ゴミ捨てっつったって、もう用意されてるものを持ってくだけのゴミ捨てとかさ、その程度しかできなかったんですよ。
子供の面倒見るとかはできるんだけど、家事とかがね、目が行き届かないんですよね。
っていうのがあったから、ひとり暮らしなんかできないよな、できっこないよなとかって思ってたんだけど、いざやってみるとね、過ごしやすい。
いろんなこと起こるけどね、うん。

やっぱりね、ある種の楽園なんですよ。
自分がひとりで生活しているところってさ、家具とかさ、物の配置とかさ、いつ掃除をするのか、いつ洗濯をするのか。
どうやってごはんを作って食べるのか、それをサボるのか、全部自分で決められるわけじゃないですか。
でも、これが非常に楽チンだし、部屋も自分が気に入ったもので揃ってるからすごい気持ちがいいし、こりゃいいなっていうね、思うんですよ。
もう楽園だなって思うんだけど、たぶんね、こういう感覚の人って多いんじゃないかなと思うんですよね。
友達もそんなこと言ってたんですよ。
恋人とか配偶者がいるとめんどくさいから、自分ひとりで過ごしていた方が楽だよねって。
で、友達とたまに会ってしゃべってたり、仲良くしたりするぐらいがいいよねっていうふうに言ってる人がいて。
当時はね、「とはいえ、やっぱり人って誰かと関わって生きるもんでしょう」みたいに思ってたんだけど、こうしてみるとね、、他者が介入しないことほど、他者っていうのが一番アンコントローラブルなものじゃないですか。
精神的にもさ、「なんでそんなこと言うの」ってことがあったり「なんでそれしないの」とかさ、「なんでそんなに傷つく表現の仕方をするの」とか、子供だったら、片付けても片付けても散らかすしさ、言うこと聞かないし、みたいな。
そういったことが一切ないからさ、こりゃ楽だなって思うんだけどね。

これは前の配信ともつながっていくんだけども。
「働いていると本を読まなくなるのは何故か。」の配信にもつながってくるところではあるんだけど、こういう自分ひとりで制御が利く空間っていうのは、自分がこの歳になって初めてひとりで住んでみて感じるけどね、こういう場所は持っておくに越したことはないなって思いますね。
物理的に不可能だったりもするけどね。
2つの部屋を借りるってお金もかかるしさ、家事も二重にしなきゃいけないところもあって、トータルの手間はかかってくるわけだから、必ずできるってわけではないんだけれども。
自分ひとりでコントロールが効いている空間とか時間っていうのは、あった方が精神的な平穏は保てるなって思う、一方で。
人と関わっていくことのストレスだったりとか、人が関わっているからこそ感じられる喜びだったりとか、「なんで人っていうのはわかってくれないんだろう」って思ってたけど、わかり合えたんだって思えた瞬間とか、そういったことっていうのは自分ひとりでコントロールが利く空間の中では得られない感覚でもあるし、やっぱり人間が成長していくにあたっては、そういったアンコントローラブルなものと接しているからこそ成長できる部分っていうのが絶対にあるから、ここはバランスなんだろうなっていうふうに思いますね。

ただ、これは結論として「こういうのがいい」っていうのはわかんないけど、家族の難しさっていうのは、否応なしに距離感が近くなりすぎるっていうところにはあるよねっていうふうに思うんですよね。
人と人っていうのはまったくの別人格のものであるから、一緒に住んでようが、家族であろうが、配偶者であろうが恋人であろうが、他人なんですよね。
だから、その他人っていうことをわかっておかないといけないなっていうか。
ここを過小評価して、家族なんだから、恋人なんだから、身内なんだからって言って自分と相手を一体化してしまうと、自分の中に異物が入り込んでいる感覚がすごく出てしまうし、相手にしてみても「私はあなたじゃないけれども」みたいなことが生じてきてしまって、これがある種の毒になって、その毒がどんどん広がっていって。
で、ある時に決定的な差になってね、「もうあなたとはやっていけないわ」みたいなことになっちゃうから、そこの線引きは絶対に取っておく必要があると思うし。
で、その線引きを一緒に住んでてやるっていうのは、けっこう難易度が高いことなので、難易度が高いぞっていうこともわかった上で人と暮らしていく必要があるなっていうふうに思いますね。

僕は今、別々に暮らしているから、逆に関係性は良好なんですよね、すごくね。
物理的に距離が離れているから、そんなに自分と一体化することもないし、だから、物理的に離れていることによって、精神的にも他者であるっていうことがわかりやすく認識できるようになったので、逆に、でも家族だよねっていうふうに思えるようになったっていうか。
逆に言うと、距離的に近くなりすぎちゃうと、ほんとは精神的には離れているべきところまでくっついてなきゃいけないみたいな感覚になっちゃって、難しいっていうのはね、家族のややこしさだと思いますね。

特に、たぶん核家族だから起きてることも多いと思うんですよね。
自分がいて、妻がいて、子供がいて、で、おじいちゃんおばあちゃんは一緒に住んでないで、地域の関わりも薄いってことになってくると、もう家族とそれ以外っていうふうになってしまうから、これはほんとに厄介なもんだと思いますね。
もしかしたら昔はさ、そこまでね、家族とそれ以外みたいにはなってないかったんだろうしね。
町内っていうのも緩やかにつながってたり、家族、親戚、大家さんみたいなところも緩やかなつながりの中で生きてきていたので、そこまで、自分、妻、子供、家族みたいなふうにはならないで済んだのかもしれないけれどもね。
今はどうしてもそうなってしまいがちなので、そこの線引きっていうのをきちっと意識して生きるっていうのが大切なんだなって、身をもって、すごい実感はしてますね。

今、家族と一緒に住まわれている方で、そういったことでストレスとかを抱えているよっていう方に関してはね、私が言うことでもないですけどね。
このような状態が一番いいとも言えませんしね。
だけど、ちょっとね、そういったことを考えるきっかけにしてもらえると嬉しいなというふうに思います。

はい、今日はそんなところで終わりにしようかなと思います。
今回もありがとうございました。バイバイ。